陳家溝研修旅行に参加して
ずっと憧れ続けていた太極拳発祥の地、陳家溝についに降り立ちました。
いまも未だ身体中を感動が駆け巡っています。
感動Best1 目の前に陳炳先生が!
石畳みの中庭で陳炳先生から直接の御指導を受けました。見上げれば陳家溝の青空が広がり、小鳥がさえずり、そして陳先生のソフトで優しい「ファンソーン」の声が響きます。もう夢の中にいる様で涙が出ました。鞜路もあやふやな私達に本当に優しく丁寧に教えて頂き、教室の掛軸に書いてある「人徳で身を潤す」そのものの方だと思いました。「その人その人それぞれの太極拳がある。それを見つけてください」 この言葉と共に、少林寺で観たショウで最後に夜空に浮かび上がった仏様の様に 私の脳裏には陳先生の姿が今も浮かんでいます。
感動Best2 陳家溝の人々
深夜に宿舎に着いた私達を迎えてくれたのは 揃いの赤いジャージに身を包んだ武術学校の生徒たち。荷物を部屋に運び、水を配りと大変ありがたかったです。朝食の食堂でも毎朝会いましたが、皆明るく屈託が無く 陳炳先生のお人柄が陳家溝の人々に行き渡っているのだと感動しました。
感動Best3 kcwaのチーム力
交流大会の引率から、食事の手配、観光ガイド、買物の同行etc、、と王先生は百面六臂の働きで私達をサポートして下さいました。そして諸先生方がそれをしっかりと支えてみえる。また、チームメイトも 何か部屋のトラブルが起きると直ぐに誰かが駆け付ける。最高のメンバーでした。
この様な素晴らしい旅行の機会を与えて下さった 王先生、諸先生方、通訳にお世話になった奚さん、そして寝食を共にしたメンバー! 本当にありがとうございました!!(文:上紺屋晴代)
中国人として初めて河南省の陳家溝を訪れました。今回の旅の目的は、陳式太極拳・老架式の習得することです。しかし浅学な私にとて、不安な気持ちを抱えながらの出発でした。
到着して2日目、3月31日の朝、陳家溝国際太極拳学院の院长、陳炳老師にお会いしました。背が高く、姿勢が良𡿨、活力にあふれる笑顔で迎えてくださいました。おかげで、緊張が少し和らぎました。
最初の授業で、老師は「陳家溝に初めて来た人はいますか?」と尋ねられ、5人が手を挙げました。「まずは体験しましょう」と優しく声をかけて下さり、最初に呼ばれたのは私でした。
老師は両腕を上げ「私の腕を持ち上げてみてください」と言われました。私は「簡单」と思ってのですが、重い。もっと力を入れて持ち上げようとましたが、まったく持ち上がりません。まるで鉄のような重さでした。その時老師は「見た目は柔らかくても、しっかり沈んでいれば、肘、丹田、下肢が非常に重さを感じます。この重さと強さは、“放松(リラックス)”すればできるのです。」と言われました。私はうなずきましたが、この「三つ重さ」できるのは難しいと思いました。
“放松”という言葉は、老師の授業で何度も出てきます。特に、「蹬脚、摆蓮、冲拳」など力強い動作をする前に耳元に「放松……放松……」と何度も聞こえてきます。「力は放松から生まれる」と理解していても、それを実行にのは本当に難しいものです。また、老師は静かな調子で「柔らかさは放松から生まれ、放松は静けさから、静けさは心の落ち着きから生まます。「起势」を入れ時には、まず心を静めなければなりません。」と言われました。なるほど。
4月1日と2日には、陳家溝で「2025年 河南省華僑太極拳交流大会」が開催され、世界中の華僑、太極拳愛好家が一堂に会しました。幸運にも私たちもその場に参加することができました。私たちのチームは大会で素晴らしい成績を収めました。
王先生は「優秀組織賞」を受賞され、陳式剣の個人競技で優勝、陳式扇の団体競技で一等賞、陳式太極拳の競技で二等賞を獲得しました。この大会は、技術の交流だけでなく、太極拳文化の交流、そして国際的な友情を深める場ともなりました。 4月4日は陳家溝での最後の日でした。朝の授業の後、陳炳先生サイン、送別の場が設けられました。その場で老師は問いかけました。「太極と太極拳、この2つには違いがあると思いますか」。皆の中には正解する方や考え込む方もおりました。
先生はこう説明されました――太極は「陰陽」に基づいた哲学的概念であり、太極拳はその理論を基にして構築された拳術である。つまり、この2つには本質的かつ大きな違いがあるのです。
―深い論理!
昼食後、陳家溝から車で約2時間半をかけて少林寺へ行きました。その夜に出演者600人の「禅・少林音楽大典武術公演」を鑑賞しました。まさに圧巻のステージで、舞台もとても独創的でした。背景には嵩山が描かれ、スポットライトに照らされたその姿は非常に美しく映えていました。感動!
翌日の4月5日には、王先生の案内で「世界文化遺産・少林寺」を見学しました。ここは禅宗の発祥地であり、中国カンフーの源流でもあります。子供の頃に映画『少林寺』を観て憧れたその地に、今こうして自分が立っている。まるで夢のような感覚でした。この日私の歩数計で18,653歩、距離にして11.4km。皆さんよく歩きましたね。
8日間の旅はあっという間に過ぎました。毎日が充実しており、非常に実りある時間でした。「馬不停蹄(休む間もなく)」という言葉がぴったりの旅でしだが、疲れ以上に充実感と喜びを感じています。
王正先生には、貴重な学びと視野を広げる機会を設けていただき、本当に心より感謝申し上げます。また、先生方や仲間の皆様のおかげで、無事にすべての行程を終えることができました。本当にありがとうございます。谢谢!
再見、陳家溝。 また、お会いしましょう!(文:奚 静琦)
陳家溝合宿に参加して
昨年末某日、妻が「教室で陳家溝合宿の案内があったけど、どうする? 少林寺にも行く
らしいよ。」と一枚の紙を私に。カンフーオタクの私としては、仕事はさておき、二つ返事で参加する意思を妻に伝えたことは言うまでもありません。
ただ、私は非会員。陳式は十年以上前に少し学習した経験がありますが、合宿での学習
項目の老架一路は初めて。であればと、(出発までの三か月間の期間限定で)会員になり、
王正老師のご指導の下、「陳式老架26勢と一路」を付け焼き刃で学習しての参加となりました。
さて、陳家溝での陳家溝国際太極学院校長陳炳老師によるご指導は、緊張と期待が入り混じる中、旧校舎の中庭で「放松功」から始まりました。青空の下、つばめの鳴き声やそよ風を感じながらの放松功は、日頃の仕事で凝り固まった身体と心を次第に解きほぐしてくれました。
次に「老架一路」のご指導。陳炳老師の動きは、ゆっくりで、且つ、どっしりと安定したものでした。私といえば、陳炳老師や周りの参加者の動きに合わせるべく、キョロキョロしながら動く日が続きましたが、最終日にはどうにかこうにか周りについていけるようになりました。神戸スタジオで曖昧なままにしていた箇所も、この合宿で覚えることができたことは大きな成果でした。
この合宿で陳炳老師が協調されていた教えの一つに、「動きの中でも放松を保つこと」がありました。みなさん大好きな「発勁」も放松無くしてはならないものであり、以前、私が稽古していた武道(空手や柔術)の教え「上半身は虚・下半身は実」「突きや蹴りは零から百」「丹田で動く」と一致し、武術・武道は地域・種類を問わず、その根幹は同じであることを認識しました。
また、陳炳老師は、太極拳の哲学や精神性、その背景にある「道(タオ)」の世界観についても多くの教えを与えてくださり、太極拳が単なる武術や健康法ではなく、身体と心の調和を目指すものであることを認識するに良い機会となりました。
今回、これらの貴重で有意義な時間を与えてくださった陳炳老師をはじめ、王正老師、
合宿中いろいろ助けていただいた「少林寺で咲いていた花海棠(はなかいどう)」のような
15人の参加者に心から感謝したいと思います。
期間限定で学習を始めた陳式老架一路ですが、今後も引き続き、王正老師の指導の下、教室のみなさまとともに学習したいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
少林寺については機会あれば。(文:津田孝司)
陳家溝と少林寺の旅2025年
今回は2回目。じっくりと源流太極拳の陳家溝を味わいたい、感じたい、空気感を味わいたい、そういう思いで参加しました。
◎今回のキーワード
放鬆ってなんだ? 鬆静 心安静 身体柔 安定 天人地 自在に動ける 日常に活かす
陰陽図の不思議 無極から陰陽 陰を育てる 太極拳は「道」の体現 道法自然
◎陳家溝の広場に大きな陰陽図が3つ描かれていた。
朝、その一つに立って、感じるものを味わおうとした。立ち位置によって黒と白の配列が変わる。陰と陽の組み合わせ、これが卦というものか! なるほど!
白と黒は決して隙間が無い。ぴったりくっついて離れない何か推手の動きを象徴しているような。そのカーブの上を歩いてみた。白が行きつくと反転していくような。それが心地よい。また白の中に黒丸がある。黒の中に白丸がある。陰の中に陽があり、陽の中に陰がある。陰であっても陽を忘れたらあかん、陽であっても陰があるということを忘れたらあかんという意味なんだな!なるほど!と感心した。
翌日、また行ってみた。すると中央にある陰陽図がほかの陰陽図と違う!ことを発見!
グレーの丸があって、その周りに白と黒がからまっているが、白の中に黒丸が無い。黒の中に白丸が無い。これは何なんだ? これは初めて目にする陰陽図だ!
先生方にお聞きすると、「無極砧だと思うよ」「陳家溝の家紋みたいなものだと思うよ」とのこと。帰国してから調べると、伏羲八卦方位 文王八卦方位とあった。伏義は二つの川の流れが合流しているのを見て陰陽図を考案したと記憶しているが、これは陰陽図の原点なのか?
◎陳炳老師の講義で「太極とは何ですか?」とまず尋ねられた。
私たちは「エネルギーの源」「陰と陽に分かれる寸前の状態」と答えた。
「いずれも正しいですね. 」と答えられた。 そして
『陰と陽はお互いに存在し支え助け合い、見えるところは見えないところが支えている。全てのものは太極を離れない。これ「道」の宇宙理論。すべてのものは丸く離れない。水は柔らかく、いかなるところでも対応する。しかも最も強い。決して対立ではない。ヨーロッパから種を持ち帰り植えたところ、芽が出たと思ったけれど、後日見えなくなった。それは根っこだった。地面の下は陰、地面の上は陽。つまり、まず陰が出たということです。先に陰、そして陽。根は下の栄養を木に送り、木は上の太陽からのエネルギーを下の根に送る。お互い支え合って大きくなる。木だと思って見ているのは一部、根っこは見えていない。木だけ見てはならない、根っこも含めてみることが大事。つまり表面だけ見ていてはならない、反対側も分析必要。木は上へ伸びていきます。根っこは下へ深く入っていきます。表面上は真反対ですが、そうではない。お互い助け合っています。これも自然現象「道」だとあらためて気づきました。
太極拳も同じ。太極理論に基づき陰を育てていくことが大事です。太極拳は柔らかさを重視します。放鬆してまず内にある陰を育てる。そして外の陽をだしていく。先に陰、次に陽。太極拳でいきなりスピードや強さを求めてはならない。
老子の研究でも柔らかいものが一番強いといっている。柔らかいからこそ、いろんなものを包み込む吸収する空間がある。固いものは、これ以上伸びない、つぶすしかない。柔らかいものは成長する。
太極拳では心を安静にすることが第一。放鬆し柔らかさ陰を鍛える。陰のエネルギーがたまったら陽がでてくる。速く上達したいという気持ちはよくない。太極拳の神髄は自然の流れに従うことです。自然の流れに従いながら、太極拳も自分の身体も技術も成長していくのがよい。自然をこえてどんどん速く成長するのは、いつか自分を崩していくのは間違いない。ふぁんそ~ん まんまんじ~
推手でいえば、水の流れと同じです。水は柔らかくて自然に流れます。穴があったら入っていきます。自然に従います。推手も同じ。ここ強い、避ける。弱いところに流れる自然に従います。しかし人間は意識が入るから、ここ強い、反発してしまう対抗になってしまう。人間の意識と力の流れの自然さと、自分をどうコントロールするかだ。相手が意識してる、こっちに強い。意識するから抵抗するから自然に従っていない。
太極拳をするときには黄河の黄色の水も安静にすればやがて澄んでくるように、心を安静にしてひたすら放鬆、自ずと柔となり、丹田に重心、下へ、そして上へと陰陽調和。立身中正となります。太極拳を練習しているように見えますが、実際は「道」を修練しているのです。道法自然です。』 と。
◎陳炳老師の真後ろで、練習させて頂く機会があった。老師の息遣いが細胞レベルで伝わってくるようだった。動きはゆっくりで、片足立ちになってもゆっくり安定してたっておられ、おもむろに合・開があって動きだされる。片足でも放鬆を丁寧に安定を確認してから動きだされるのだと思った。まさに老子「道」を体現されているのだ。さらに立ち居振る舞いも物静かで、日常でも放鬆されて「道」を体現されているようだった。私も套路だけでなく、普段の生活の中にも放鬆を取り入れていきたい、きっと、それが養生に繋がると思った。
あの広場の中央の陰陽図のグレーの丸は無極放鬆を現わしていて、まさに陰陽が混とんとしている状態。まさに原点。左右にある陰陽図は右に左にと重心が移動したとき、陰陽が調和をとりながら活発に動いている状態と言えるのではないか?
今回、色紙に「松静」というお言葉を頂いた。心を安静にし放鬆し柔となる。重心が丹田にきて軸が安定して自然に動けるようになるということと理解した。一生の課題です。これは昨年に太極拳を始める時に必ず2分間、心を安静にして立ってくださいと言われた意味だと理解。ひとたび動き出すと、陰陽に分かれ陰の中に陽を含み、陽の中に陰を含む丸い動きで陰陽が助け合い調和しながらバランスをとって動いていくのです。すばらしい!まさに陰陽を知る旅でした。太極拳が世界遺産であることに納得!
◎文化交流というけれど 古の昔から日本は中国から学んできた歴史がある。
嵩山少林寺にもいった。少林寺といえば激しい強い速い動きのイメージがありますが、仏教寺院でもあり、後で調べると、座禅は心身のやすらぎがそのまま仏の姿と自覚することであり、本当の強さを目指す。ひたすら技のうまさ、腕力の強さを競ったり相手を倒すことだけに熱中したりすることがあってはなりません。心身ともに健全でたくましい人間になることを目指します。とあった。太極拳の目指すものと同じだと思った。
道元がここで学び、日本に持ち帰り永平寺を開き、日本に広めたように
今、私たちは王老師に導かれて、河南省の陳家溝にやってきた。河南省の華人華僑の大会にも参加することができた。手の動きは目に入りやすく意識も手の動きにとらわれてしまうが、中からの動き、丹田からの動きが見えた。これは私にとって大収穫!
ここで学び感じ味わい、太極拳の本当に目指すものを学ぶことが大切だと思う。
そして心ある人に伝えたいと思う。
少林寺のホテル 少林鵝坡禅武大酒店 に掲げてあった文字
以武育人 武無文則蛮 文無武則弱
武を以って人を育てる。
しかし武があっても文がなければ野蛮になる。文があっても武がなければ弱い。
このホテルのフロントマネージャーの方には、私一人のために八段錦を一緒にやって頂き、動画まで送信頂いて、「健康で練習を楽しませますように」とメッセージを頂いた。感謝!
何よりも太極拳をとおして中国の文化を自然に味わえるように導いてくださる王正老師のもとで学べることは本当にありがたい! 謝謝老師
日々ほんの少しの気づきに至福の悦びを感じ太極拳の学びができることに、
王正老師はじめ諸先生方に感謝しています。(文:香山よしの) |