内家拳について
太極拳
  東岳太極拳
形意拳
八卦掌
   
外家拳について
長拳
南拳
少林拳
八極拳
通背拳
象形拳
   
その他の武術について
滄州の武術について
   
   

 

 

 まず「武術」の中の「武」から説明しましょう。
 「武」の文字は「戈(か)を以て止むる(とどむる)」の意味であり、あるいは、「戈を止めること」の意味もあります。
 つまり相手が自分を攻撃しようとするのを未然に制することであると解釈しました。
 「武術」とは敵を攻撃し、自己を防護する体系的な戦闘技術ですが、中国の14世紀から20世紀初めにかけて、"打つ"、"蹴"、"投げる"、"掴む"、"刺す"などの技術を組み合わせた数多くの武術の流派、種類が生まれ、それぞれの形として発達しています。
 現在行われている武術は200〜300種類あるといわれています。力強く速い動作を主体にしたものからやわらかく巧妙な技を使うものまで多岐にわたります。
 続きまして、その中の一部を紹介します。下記にお参考ください。

 
 
 
 太極拳
   
   中国武術の一種類として、ゆっくり、穏やかな動きが特徴であり、中国4000年の歴史をつめこんだ大変奥深い運動です。
 日本では健康体操として導入されて以来大変人気になり、多くの分野から重視され、太極拳に関する研究がたくさん報道されています。
 太極拳は単なる運動スポーツだけではなく、医学や心理学などから大変良い効果が期待されております。
 太極拳の深くゆったりした呼吸は腹腔内の血液循環を活発にし、胃腸の蠕動を促すので、呼吸器系統、消化器系統にいい影響を与えます。
 また、腰を軸とした円の動きであり、絶えず重心が移動する運動であることから、骨格、筋肉、関節を鍛錬し、バランス感覚も養うことができます。
 全身の各系統、器官の動きの向上、体内の代謝の向上は老化を防止することや冷え性を改善することができます。さらに、皮膚は外界と自分を仕切る大きなシステムなので、体内の状態がよければ皮膚の状態も良くなることにより、美容にも大変良い効果があります。
 太極拳をすることは人間が本来持っているホメオスタシスに有益であるので、いろいろな老年性病気の治療にも良い効果を与えます。心理学では太極拳が深呼吸やゆったり動きで脳の神経をリラックスさせ、精神を癒すことができ、ストレスを解消させ、集中力を養うことなど多くの効果が示されております。
   太極拳の流派については、繁多であり、陳式、楊式、孫式、呉式、武式、趙保式などあります。その中に、陳式太極拳は、もっとも古い太極拳であり、楊式太極拳は、もっともポピュラーな太極拳です。当代太極拳の中には、もう一つ有名な太極拳を皆様に紹介したいです。それは『東岳太極拳』です。
 『東岳太極拳』は、北京体育大学教授門恵豊先生は、ミレニアム2000年 の元旦に中央電視台(NHKTVに匹敵)の特集番組で放映された時に、泰山(富士山に匹敵する霊山)の頂上にて直径6mの太極台を築き上げ、その上で演武する門恵豊教授をヘリコプターが上空から撮影すると言った大掛かりなものです。その演武時にひらめいた太極拳が「東岳太極拳15式」として、発表されました。
 
   形意拳:
   
 

 中国の北派武術で三大内家拳の一つに数えられ、日本でも知名度の高い武術です。
 起源は中国の山西省に源を発するという。伝説では宋代の最後に岳飛という武将が形意拳を伝えたといわれている。この岳飛は槍術に優れていたといい、形意拳の動きの多くが槍術と共通していることからもこの武将と伝説が結び付けられたのでしょう。また形意拳は心意拳(心意六合拳とも)から派生したとも言われ、しばしば同一視されることもあります。
 またその逆だという話もあり、他にも諸説があふれているので起源については流すことにします。
 現在の形意拳は、大きく分類すると山西派・河北派・河南派に分かれることになる。
 形意拳を説明するときによく言われるが、形は単純、威力は絶大といわれる。形意拳はシンプルな拳法で、その基本は三つ、まず三体式。これは構えになります。そして基本になる技が五本。五行拳と呼ばれ、劈拳・鑚拳・崩拳・炮拳・横拳の五つ。文字通り五行に対応しています。それを基本にして、上位の技に十二形拳という動物の形を模したものが存在します。十二形拳に対応する動物は龍・虎・猴・馬・鼈・鶏・燕・蛇・蛇・鳥台・鷹・熊になります。

   
 
    八罫掌:
   
   太極拳、形意拳とともに三大内家拳の一つです。清代に董海川によって創始されました。
 八卦理論を理としています。
 歩法はまるで泥の上を歩くようであることからこの名がついた雲泥歩を特徴とし、腰を捻じりながら円周上をひたすら歩くことに特徴がある中国の伝統武術です。
 技の特徴その名のとおり、拳よりも掌を多く使い、八種類の基本動作(基本八掌という)からなっており、それらは互いに連関しています。
 熟達すれば、それらを組み合わせて千変万化な動きができるようになります。
   
 
 
 
 長拳
   
   査拳、華拳、少林拳などの総称です。特徴は姿勢や動作が大きく伸びやかでスピードがあり、跳躍動作が多く含まれ、優美で活動的なことです。
 体操の床運動のように全身を用いて縦横に動きまわるので年少者や初学者の練習に適しています。
   
 
   南拳:
   
 

 中国南方で行われる拳術の総称で多くの流派があり、その一部は日本の空手の源流といわれています。
 特に、広東省、福建省の南拳が華僑などを通じて広く世界に広まりました。
 特徴は、両脚をしっかりと踏んばって、両腕を力強く使います。力を出すときに気合を発します。

   
 
    少林拳:
   
   少林拳は、古代中国にその源を発し、河南省の少林寺に伝えられ、仏僧の修行の一つとして発展を遂げた武術です。
 500年以上にも渡り、中国少林寺の僧達の武術は禅仏教の独特の表現法として発展してきました。このうち南派少林拳(福建省)は琉球から空手として伝わりました。
 495年に少林寺が設立された直後、最初の兵士僧がカンフーの原点となる一連の戦い動作を編み出しました。
 この動きには体の全ての部分を使い、本来は毎日行う体操のためのものでした。その後、質素な農具から作られた様々な武器と組み合わせることで瞑想法の一つへと発展しました。
 過去500年の間には何度も国と自分たちの寺を次々に現れる将軍や国外の侵略者達から守ることを命じられました。このような戦いの中で彼らの技は今日知られる少林拳(少林寺カンフー)へと発展してきたものです。
   
 
 八極拳
   
 

 八極拳の起源は18世紀に河北省滄州イスラム教を信仰する回族の居住地域であった孟村の住人・呉鐘(ごしょう)が、癩(らい)と名乗る遊方の道士からこの拳技を授かったことに始まるという。 (八極拳の起源には複数説があり、ひとつには張岳山という遊訪僧より、河北省慶雲県の后庄家村にて呉鐘に伝授されたと言う説もある。) 癩は呉鐘に拳技を授けるとやがていずこかへ去ったが、その後、癩の弟子と称する癖(へき)と名乗る道士が呉家を訪れ、六合大槍という槍術を授けたと伝えられる。この六合大槍は、現在でも八極拳との併習が行われており、槍は八極拳の主力兵器とされている。
 八極拳の古名は把子拳(B?zi quan)と表記されていたと言われ、一説には明代の茅元儀が著した、『武備志』(その原典は戚継光の「紀効新書」「拳経序文」)に記載されている把子拳(巴子が拳棍)が、それと同種の拳であったのではないかとする説もある(資料によっては把子棍槍との記述もあり、どちらにしても八極拳の母体となったものは棍術ないし槍術などの長兵器術であったと思われる)。
 また、拳の作り(手形)においての把子拳とは、五指の第二関節を折り曲げて握る手形のことである。かつて八極拳はこの手形を多用していたため把子拳と呼ばれたとの説もあるが、しかし呉鐘以前の伝系については明かとするには物証に乏しく、詳細は不明だといえるだろう。
 八極拳は当初、孟村の回族を中心に伝えられていたが、漢族が多く住む地域の羅瞳にも伝わり、漢族の間でも行われるようになり、やがて孟村の回族の系統と羅瞳の漢族の系統に分かれて伝えられるようになった。八極拳の中国全土への普及の切っ掛けは、南京中央国術館が少林門と武当門で共通の正課として、団体訓練用八極拳教材(別名・八極小硬架)を制定したことにはじまる。
こうして中央国術館の支部の拡大につれ八極拳は中国全土に普及し、その知名度を上げていった。団体訓練用八極拳とは、名前のとおり集団で一斉に練習し易いように八極拳の套路を改変したもので、小八極を教わる前の段階で学ぶ套路の小小八極(八極架)と、大八極を元に新たに作られた套路である。大八極と混同され易いが技法内容は大八極よりも遥かに簡素であり、より対打としてそのまま使い易く出来ている。後にこの套路は軍隊においても採用され、軍隊用八極拳ともいわれた。
 近年になって、八極拳のルーツであるとして少林寺八極拳なる門派が嵩山少林寺近郊において教授されているが、残念ながら技術書を見る限りでは、どの套路もかつて多く普及したこの小硬架を模倣したものと思われる。
 日本での八極拳の普及については武術史研究家・随筆家として著名な松田隆智の功績が大である。松田はその著書によって初めて一般大衆に八極拳を紹介し、武術愛好者たちの興味を喚起した。 当初松田が紹介した系統は台湾に伝えられた武壇系八極拳であったが、その他の系統についても松田の影響を受けた後進たちが続々と導入し、現在では殆ど全ての系統の八極拳が日本には揃っている現状である。 また在日華僑の武術家であった張世忠は全日本中国拳法連盟の創始者佐藤金兵衛の要請によって、松田の紹介以前から八極拳の指導を行っていたという。この他にも風聞などを聞く限り、張以外の在日華僑の武術家からの伝播も細々とあっただろうと思われるが、だが、一般へのセンセーショナルな紹介という点では松田に匹敵する者はいないであろう。
 伝承者としては、羅瞳出身の李書文と孟村出身の馬英図などが著名である。李書文は比武(決闘)を好み、激しい気性の人物だったようで、彼に関する逸話は過激なものが多い。伝説ではほとんどの敵を最初の牽制の一撃のみで討ち果たしたといい、李書文に「二の打ちいらず、一つあれば事足りる。」との歌があったとされる。当代の八極拳の名人と言えば、河北省滄州孟村八極拳の第七代伝人呉連枝先生であろう。
 八極拳の特徴については、敵と極めて接近した間合いで戦うことを得意とする拳である。 八極拳の風格は中国において「陸の船」とも形容され、歩法の運用も細密なため、 他派と比べて比較的遠い間合いでの戦闘に不利であることが知られている。 そのため、近接短打以外の技法を補完する目的で、劈掛掌(劈掛拳)や蟷螂拳などと併習して学ぶ系統も存在する。独特の震脚動作を伴う重心移動や体勢の急激な展開動作を行うことを主な攻撃力(勁力)の源とし、馬歩椿歩などの基本功(基礎訓練法)と、小八極という套路で基礎的な実力を養成し、やがて大八極、六大開拳及び八大招式などの套路(型)で威力に実戦技法を加えるといわれる。 また八極拳は接近戦を重視する戦法をとる為、肘撃(肘打ち)や靠撃(肩や背面部で敵を打ち付ける攻撃) など、近接での体当たり戦法的な技法も他派以上に重視される傾向にある。

   
 
   通背拳:
   
 

 『通背』は中国語では「tong1bei4 とんべい」と発音する。表記は違うが、『通臂』『通備』も同じ発音である。 このうち通備門は、近代武術界の高手「馬鳳図」公が劈掛拳を核に八極、翻子、螳螂等の門派を融合し、新たに開いた門派である。
 「通臂」は、架空の動物「通臂猿猴」からの命名と言われている。通臂猿猴とは、左右の腕が一本に繋がった架空の猿の事で、右腕を伸ばせば、左腕が短くなり、左腕を伸ばせば、右腕が短くなると言われている(一説にはテナガザルではないかとも言われている)。通臂門に伝わる独特の身法に習熟した者は、あたかも腕が遠くへ伸びるように見える。それが、この通臂猿猴のようである事から、通臂門と名乗ったと言われ、通臂、通背、通備の中では、最も古い表記であると考えられている。また、場所によっては、劈掛拳を通臂拳、通背拳と呼ぶ事もある。
 『通背』とは「腰背から生じた力を肢体へ通じさせる」の意味である。また、『通臂』とは「臂(腕)から生じた力を肢体へ通じさせる」の意味もある。しかし、『臂』の力も本来は『背』から発するものであるため、『通臂』の意味も含めて『通背』と表記される事が多いようである。
  通背門(通臂門)は、河北省を中心とした中国北方に古くから伝えられてきた武術で、現在では多くの分派の存在が確認されている。例を上げると、祁氏通背、五行通背、白猿通背、劈掛通背、少林通背、合一通背、六合通背等である。しかし、そのために起源は、はっきりとしない。一般に言われているのは『猴拳(猿拳)』が元になっているのではないかという事である。猿というと日本では、あまり良いイメージはないかもしれないが、中国において猿は神聖な生き物とされ、特に白猿は神の使いとされている。

   
 
    象形拳(酔拳、猿拳、鷹爪拳、蟷螂拳、鴨拳、鶴拳など):
   
 

 中国伝統拳法の一種類です。動物、昆虫などの動きを真似し、その特徴な動作を取り出して武術の技と組み合わせて創造した拳法です。
 例えば、酔拳は、酔っ払い様子を真似し、その動きと武術の技と組み合わせた拳法です。
この拳法の動きには体及び足元がふらふらの様子が見えるが、動きが乱ではない、酔っ払いの様子が見えるが、酔っ払っていないという特徴です。
  酔拳は酔っ払い動きよって、剣や根も使います。酔剣、酔根といわれます。

   
 
 
 
 「武術の故郷」と言われる滄州の武術について、ご紹介します:こちへどうぞ!!!
 
 
 
 
 
 

Copyright ©2004〜 K.C.W.A.
本サイトの無断複写転載および利用使用は、特定の場合を除き、神戸中国武術協会の著作権の侵害になります。